この記事は、実際に被害にあわれた体験者の方から送られてきた文章を元に当サイトが編集した内容となっています。
目次
阪神淡路大震災はどういった震災でしたか?
私は今から23年前に起こった阪神淡路大震災を体験しました。
阪神淡路大震災とは、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した、兵庫県南部地震です。マグニチュード7.3、震度6の大規模地震でした。
兵庫県、大阪府、京都府も被害を受け、非常に深刻で大きな被害を受けました。
震源地に近い、東灘区、灘区、中央区(三ノ宮などの繁華街)、兵庫区、長田区、須磨区はとても大きな被害が出ました。
犠牲者6000人以上で、戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災が起こるまでは戦後最大と言われていました。
実際にどのような被害がありましたか?
震災1日目
当時19歳だった私は被害の大きかった灘区に住んでおり、大阪の大学まで2時間かけて通っていました。
1限目からの授業の際には、いつもオーディオから流れる音楽を目覚ましにしており朝5:45にセットするのが習慣でした。
23年前の1月17日は1限目からテストの日でした。枕元にあるオーディオから音楽が流れはじめ、「寒いし起きるのが嫌だなぁ…」と思いながら、布団から頭を出した途端に、これまでに経験した事のない揺れが突然起こりました。
最初の一瞬は「すぐ止まる」と思ったのですが、止まる気配もなく揺れ続けました。
身体を動かすことさえできず、また、何かを考えるという事もできませんでした。
ただただ、揺れが止まるのを待つだけ。なにも考えられない状況でした。
どれだけ揺れたのかは分かりません。揺れがおさまった時、布団の上に座りましたが、冬の暗さもあり、家の中の様子が見えませんでした。今考えると外の外灯も含め全ての電気が切れていた為、真っ暗な闇の中の状態でした。
2つ離れた和室から、両親がリビング近くに寝ていた私のところに来ましたが、その時はまだ事の重大さが分かっていませんでした。
というのも、住んでいたマンションは壊れていなかったのです。崩れていればすぐに分かったのでしょうが、壊れていない箱の中に居ると人間は大丈夫と思うようです。
呑気にも「試験に遅れる!準備を!」と考えてさえいました。その時、父から「南側が真っ赤に見える。大変なことになってるんじゃないか…大学には行けないぞ」と言われたのを覚えています。
地震発生から20分以上は経っていました。その頃に、少しずつ日が昇りはじめ、家の中が見えるようになりました。その時に初めて大変な状況なのだと気が付きました。家の中はグチャグチャでした。食器はほとんどが割れ、冷蔵庫も、棚も、勉強机も、倒れたり、全く違う場所に飛んでいたりと…。
和室からガラスが散乱したリビングまで歩いて来た両親は、いつもスリッパを履く習慣があったので、ガラスの上を歩いても怪我が無く済みました。
壁には大きな亀裂が入り、敷き詰めてあった絨毯はウエーブがかかったように歪んでいました。1番酷い状態になった場所は台所でした。物が固定されずに、こまごまとした物が多いのも原因です。
ビン類の破損は危険ですし、また水が出ない環境のもと、ハチミツやお酒などの処理が大変でした。この時に新聞紙がとても役にたちました。廃品回収に出していたら何も出来なかったでしょう。今は新聞をとらない方も増えていますが、災害時には新聞は役に立ちます。一時的に敷物にも出来ますし、ガラス等をかき集めるなどチリトリの代わりにもなります。水分も吸収します。
震災1日目は何も情報がないまま、少し片付けをして夕方には寝ました。
クリスマス用の大きなキャンドルがあったのでそれを灯りにしましたが、とにかく暗くて寒いので布団の中で過ごしました。トイレはお風呂の残り湯をトイレのタンクに入れて使用しました。今は自動トイレなどになっていますので、それはできるのでしょうか?
食べ物は食べた記憶がありません。ショックで食欲も失せていたように思います。
震災2日目
兵庫県に関わる仕事をしていた父は、職場に行くと朝から歩いて三ノ宮方面に出て行きましたが、お昼過ぎに帰って来ました。道がひどく歩けない状態だと。
震災3日目
父は六甲山方面から車で迎えに来た職員と山を超えるかたちで出勤しました。3人姉妹の私達は、夕方、トイレ用の水をもらいに学校のプールに行きました。
真っ暗闇です。しかもバケツ2つしか家にはありません。トイレの水が切実でした。
学校のトイレに行くと、水が流れない為使えません。便器からは汚物が溢れている状態でした。地震発生から2日目でこの状態です(学校に避難した友人の話によると、大便は新聞紙の上でし、包んで捨てていたようです)。
ですので、トイレは家でしたいという思いが強くありました。トイレの水が切実でした。 3日目に初めて学校に行った時、そこで色々な情報を得ることができました。
当サイトより
やはり突然大きな地震が発生すると、パニックになり何も考える余裕がなくなるのですね。
お風呂の残り湯をトイレのタンクに入れて使用する件ですが、タンク式のトイレであってもバケツなどで便器に直接流し込む方法が正しいとされています。
お風呂の残り湯となると、髪の毛などがタンク内の部品に引っかかり故障の原因にも繋がります。
震災を経て思ったこと、分かったことはありますか?
家があると引きこもりがちですが、その分情報は遮断されてしまいます。
情報を得るなら、人が多く集まる避難所に行くことも大切だと感じました。
また、パッと見た感じで破損の少ない地域はスルーされがちです。高齢者が居ること、自分達は容易に水が得られない状態であること、沢山の住民が居ることを報告すると、(誰が誰に伝えたのかまでは分かりません)自衛隊の方が定期的にマンション下まで来てくれるようになりました。
大きな災害時は市も県も細かな様子がつかめませんので、我が儘で無い範囲であれば自らが現状を訴え行動する力も必要です。
水が整うと不思議と私たちの場合は気持ちが落ち着きました。
食べ物は父の会社の方が、毎朝おにぎりを持ってきてくださったのを覚えています。 自衛隊の方からも受け取っていたような記憶があります。考えれば炭水化物ばかりを摂っていました。
私たち家族は若かったので、なんとか保ちましたが、 もし持病を抱えていたなら、震災を機に更に体調が悪化していたのではないでしょうか。
私達家族が震災を乗り切れた1番の大きな要因は、誰も怪我をしなかった事だったと思います。だから家族が力を出して乗り切れました。
誰も怪我をしなかったと言いましたが、姉妹の一人は、寝ている頭元、壁に置かれていた身体よりも大きな重たい「観音開きのタンス」が、扉が開いた状態で倒れてきた為、その中にすっぽりと体が入り込む形で助かりました。このような偶然で怪我人が 一人も出ずに済んだということです。
偶然助かった人は良いですが、後々思う事は、家具に転倒止めをしていれば助かっていた命は多かったと思います。
あの当時、あんなにも大きな地震が来るとは日本中誰もが思っていなかったことだと思います。 ですので、そのような知識がないことが当たり前でした。
正直、あの大震災を経験した私でさえも、その後住まいが変わった後、家具を留める設備を怠っていました。 2018年6月18日の大阪地震があるまでは…。
あの日、心の底から「絶対に家具を止めないと!」と思い、その日中に高い家具を固定しました。
不思議とその日から余震が起こっても気持ちにゆとりがでてきました。
これまでずっと心の中で家具のことを気にして過ごしていたのは確かです。
でも、寝る場所に高い家具は無いという変な安心感から、1日で出来る事を、様々な理由で先延ばしにしてきました。
2018年の大阪地震は強く昔の記憶を呼び起こし、喝を入れられたような気もします。
当サイトより
確かに大きな震災などの場合、市や県も状況を把握しきれない部分もでてくると思うので、自らが報告する必要もあると思います。
「観音開きのタンス」のお話はそんなケースもあるんだと驚きました。
ご家族が誰も怪我されずに本当によかったです。
震災などは経験された方でも日々の経過で意識が薄れてくる方もいらっしゃると思います。
だからこそ後回しにせず、思い立ったらすぐ行動に移すことが大事だなと私も再認識しました。
震災を経て必要だと思った対策はありますか?
震災を経験した私がまず一番強く勧めることは、やはり家具の固定です。
就寝時に起こる地震は不意打ちです。身体は動きません。
ですので、寝ている場所には高い家具は置かない。倒れてきた時に命に関わるようなピアノ、陶器は 置かない。それは第一に大切なことだと思います。
本が好きで、本棚に囲まれた中で寝ていた方は、その本棚が倒れてきて亡くなられました。 家具が倒れなければ助かった命はたくさんあると思います。
怪我をすれば力は出ません。動けませんので先に進む力がその時点で失われます。
当サイトより
おっしゃる通り地震はいつ発生するか分からないので、寝室に大型の家具などは置かないのが懸命です。
その他の場所にある大型の家具や家電にも転倒防止対策を推奨します。
当サイトがオススメする耐震グッズはコチラです。
Mobilier:耐震マット 1,020円(税込)
☑工事不要の貼るだけ簡単設置!
☑ハサミで自由な大きさにカットできる!
☑水で洗って再利用可能!
地震を経験した私が今用意しているものは、トイレ用にゴミ袋を沢山、水分を固めるポリマー、熱に強いビニール袋(料理に使います)、水、ガスコンロ、カセットボンベ、懐中電灯、食物繊維の取れる缶詰系。
備蓄も大切ですが、正直なところ私の中では何日か頑張れば、あとは手に入るというおもいです。幼い子、お年寄りの方は別です。
防げたのに負ってしまう怪我は災害時は勿体無いですし、厄介です。
またデジタル化が進む一方で、アナログ的な生活を残しておいた方が実は災害時には役に立つこともあるように私は思えます。(新聞紙、トイレの構造など)
当サイトより
震災をご経験されて色々活用できそうな物を用意されているのは素晴らしい心がけだと思います。
確かに災害時にはアナログ的なものの方が役立つ場面が多いかもしれませんね。
今回はご協力ありがとうございました。